未完成!  港区の地理  ★index


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▽新シリーズ

上の写真は鳥居坂
麻布の地に惹かれるようになったのは2010年ごろの事でしょうか。ワイン仲間の結婚祝いの会が
六本木のVincentであり、日の長い初夏の頃、二次会へと向かうタクシーが鳥居坂、暗闇坂、
仙台坂上、薬園坂を通って四の橋に出て、明治通りを恵比寿に向かった。魅惑の坂道、心に刻み
込まれる抜け道でした。当時は正確な地理を把握していなくて、いつの日にか再度訪れてあの道を
歩いてみたいと思っているうちに近くに引っ越しました。
以前住んでいた杉並・和泉から芝浦まで自転車通勤していた時、最初は最短距離で井の頭通り、
表参道、根津美術館、西麻布、日赤病院下、仙台坂上、麻布十番、金杉橋、芝浦というコースを
走ったけどきつかった。大原から大山まではいい、イスラム教寺院のあたりからアップダウンが
続く。代々木上原にかけて下り、のぼり、山手通りの下り、のぼり、表参道も下り、のぼり、
根津美術館横の下り、日赤産院下から愛育病院前までの上り、仙台坂上、二の橋か一の橋への下り、
おまけに東京タワーあたりの上り下り。あまりのアップダウンに耐えかねて、渋谷川・古川沿い
または神宮外苑・外苑東通り経由の平坦コースを走るようになりました。

そのずっと前、大学に通ってた頃、中目黒で仕事をしていて、時間が無いと地下鉄で広尾まで出て、
タクシーで有栖川公園、仙台坂上、二の橋、三井倶楽部前などというコースで講義に出た。
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上の写真は三井倶楽部

それらのコースの十字路になるのが仙台坂上です。ずっと前、あのへんにぽつんと牛乳屋があった
のを思い出す、遠い日の朝の情景。

仙台坂上から薬園坂、四の橋へ行く道を12時とすると、10時ぐらいの方向に進む道は豪邸が立ち
並んでいる。大林組のゲストハウス游庵があり、その先の「藤間」というお宅はgooglemapで
見れば松本幸四郎事務所になっている。その先に清水建設の会長邸があり、その他芸能人も
住んでいるとか。
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上の写真は游庵
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上の写真は藤間邸
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上の写真は清水邸
仙台坂上から愛育病院の方へ行きグランド前を反対側に入るとそこも趣向を凝らした邸宅や 高級マンションが立ち並んでいる。
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上の写真は麻布運動場近くの豪邸

しばらく進み西町インターナショナルスクールの子供たちの声が聞こえだすと、突然視界が
開ける。六本木ヒルズやミッドタウンのビル群、それと対照的な家々。

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上の写真は西町インターナショナルスクール近辺からの遠望
本光寺というお寺があり、大使館や邸宅、高級マンション、麻布高校などに囲まれ谷戸といわれる 地形に密集し時間の流れに忘れ去られたかのごとき家並み、本光寺の地所の戦前からの借地だと いうけど、土地の古老に聞いても詳しい成り立ちはわからない。そこは麻布のミステリーゾーンです。
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上の写真は本光寺付近の町並みと元麻布ヒルズ

元麻布でもうひとつミステリーゾーンというとがま池ですね。港区民でも見た人は少ない。それは港区
元麻布二丁目10番にあるけど、周りをマンション、お屋敷、ビルに取り囲まれ、土地勘が無いと
なかなかたどり着けない。麻布十番から広場のある石畳の道を登ると頭でっかちな元麻布ヒルズがあり、
その向かいに西町インターナショナルスクールがある。インターナショナルスクールは元麻布二丁目14番
でその道の先に二丁目10番がある。マンションや邸宅が並ぶが道なりに進むとコインパーキングがあり、
現在はそこから唯一がま池が見られる。竹や棕櫚、柳などが茂り、冬には野鳥がたたずみ春には桜が
咲き乱れる。コインパーキングでお花見したら気分いいんだろうけど不法侵入。ちょっと見だけなら
勘弁して下さい。
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上の写真はがま池付近の豪邸
本光寺周辺が山の手の戦前の光景なのに対して三田小山町は川っぷちの戦前の名残ですね。ザ・酒ヤで 店頭の商品を物色してから東京さぬき会館の角を曲がると三田小山町の町並み、更に2度曲がって 小山橋の手前を左に入ると最深部。小山湯は廃業し、巨大な再開発ビルも2010年夏にオープンし、時代は 変わるが、浪花荘はいいですね、いつ行っても猫がいる。サンアップというスナックは激しく気になる けど入るのには勇気がいる。
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上の写真は三田小山町の浪花荘

古川は麻布と三田、白金の境になっている。しかし明治時代に麻布広尾町の青山八郎右衛門氏が
護岸工事を行い、その代償として川沿いの河川敷の広大な土地を手にして、その土地は麻布廣尾町と
なった。そのため、麻布地区が古川を越えて対岸にまで広がっていたから、川っぷちの浪花荘は
麻布廣尾町だったかもしれない。
もうひとつ、麻布地区が古川の対岸に進出している町がある。麻布田島町。麻布細見によれば幕府の 下級役人の拝領屋敷で、田んぼの中の島のような町家だったという。明治通りの四の橋交差点から橋を 渡った所の田島町会館という建物が往時を忍ばせるのみであるが、そこは古地図を見ても江戸時代から 川向こうの麻布だったようです。
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上の写真は三田小山町の古川

麻布で元麻布の本光寺周辺やがま池がミステリーゾーンの最たるものなら、それに次ぐのが麻布
永坂町、狸穴町、それにロシア大使館裏の一帯だろう。2010年末に高峰秀子さんが亡くなった。
高峰邸もどう行ったらいいのか文で説明するのは難しいが、ブリヂストンの石橋一族の豪邸などが
立ち並ぶ道の角の白い家に松山・高峰連名の表札が出ていた。永坂町は住民の平均所得、平均資産が
おそらく日本一だろう。人口が少なく大富豪が何人も住んでいる。高峰邸の奥のいつもガードマンが
立っている家が孫正義邸ではないかと思う。その近くに「成毛」という豪邸があり、数年前に亡く
なったミュージシャンの成毛滋氏の邸宅だろう。スリランカ大使公邸。首都高速沿いには永坂更科の
製麺所、参議院副議長公邸。
その東の石橋財団・ブリヂストン美術館永坂分室の先から急坂になり、狸穴の坂下に続くあたり
にには「石橋住宅」というのが立ち並んでいるからブリヂストンの最高幹部が住んでいるようだが、
その中でも成毛氏は別格だったのだろう。成毛滋氏の父収一氏はブリヂストンの取締役で石橋
正二郎氏の娘婿。ロシア大使館裏には日本経緯度原点があり、アフガニスタン大使館、建設中の
アメリカンクラブなどがあるが普段はガードマンが立ち、行こうとすると
「この先は行き止まりですよ」と告げるので振り切って先に進む勇気がない。

麻布には大使館が多い。右翼が押しかけるのはロシア、中国、韓国の大使館が御三家。
そのほかというと失礼だが天現寺近くのフランス大使館、有栖川公園横のドイツ大使館を筆頭に
数え切れないほどの大使館があり、西麻布には15カ国野大使館が入居しているビルがあるようです。
◆港区の大使館
◆外務省在日外国公館
自転車通勤の項で書いたように、外苑東通りは平坦ですね。四谷三丁目からロシア大使館前まで
ほぼ平坦、ゆるやかな下り。四谷三丁目から幡ヶ谷までの甲州街道・新宿通りも平坦。甲州街道・
新宿通りが平坦なのは玉川上水とその先の水道が通っていたから。四谷三丁目の東の東京三菱UFJ銀行
前の新宿通りも谷を埋めて道路を平坦にし水道を通したような痕跡があり、津ノ守神社付近の窪地は
元は鮫が橋の谷に続いていた事を実証する発掘資料が出たとか。四谷三丁目からロシア大使館前までの
外苑東通りも水道が通っていたのだろうか。赤坂・青山の御用邸のあたりには青山上水、後に青山
用水が通っていたのはいろいろな資料から確かめられるが、青山一丁目からロシア大使館前までも
水道管を埋めるためにむりやり平坦にしたと考えられる場所がいくつもある。乃木坂も谷を埋めて
いるだろう。飯倉(いいぐらが伝統的な地名)交差点は凹状であり凸状でもある特異な地形をして
いる。この先には幕府の重要施設である増上寺があるから玉川上水系の水も飯倉交差点を越え東京
タワーの高台を迂回し増上寺までとも考えられる。地図を見ていて気づいたが、東京タワーの近くに
芝給水場がある。こうした水道関係の施設は以前から水道に関係した場所に作られることが多い。
杉並・和泉給水場は玉川上水沿いだし、本郷給水場も神田上水の近く。港区内では白金台にも
下北沢で玉川上水から分水した三田用水が流れていたが、何か水道関係の施設はないか。

麻布の南西の果ての白金・恵比寿との境の古川に狸橋がある。首都高速のほぼ下、慶應幼稚舎に接する。
江戸時代橋の南西に蕎麦屋があって子どもを背負い手拭をかぶったおかみさんにそばを売ると、
そのお金が、翌朝は木の葉になったという伝承から、狸蕎麦、狸橋になったとか。

元麻布には狸坂があり、ロシア大使館横の狸穴。狸にちなむ地名もあちこちにあります。
◆ 三田評論の狸橋と福沢邸の記事「天現寺界隈、そして幼稚舎」
「麻布本村町」荒潤三著 ラ・テール出版局 2000円(税込)
仙台坂上から運動場の方に向かったところにあったクリーニング屋のご子息であった大正生まれの
著者が書き綴った南麻布、元麻布、麻布十番あたりを中心とした戦前・戦中・戦後の情景。
仙台坂上でかすかに記憶に残る牛乳屋の存在が確かめられた。
仙台坂上に商店街があったなんて、驚き。それらの商店のこと、氷川神社、善福寺、がま池
などの記述は詳しいが本光寺周辺には触れてない。
著者は早慶戦のことにも触れており、麻布でも早稲田ファンが多かったようなことを書いているが
肯首しがたい。
三田の隣町で慶應の塾生・塾員も多く、必ずや慶應ファンのほうが多かったと思う。
港区立図書館に蔵書あり。ISBN  4-947681-05-5  書名ヨミ  アザブ モトムラチョウ。
もとむらちょうなんだ。
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上の写真は麻布本村町の都営住宅
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上の写真は麻布本村町の坂道

南麻布の山裾の道
みずほ銀行麻布支店の所を奥に入り突き当りを左に曲がり道なりに進むと

道が細くなりお寺の裏手などの坂道になるがそれほど登りはきつくない。
車がすれ違える十字路を過ぎるとやや下りになり、途中からバイクや自転車が
やっと通れるぐらいの曲がった道になるが、そのあたりが一番野趣満点です。
イラン大使館下の薬園坂を抜けるとなだらかな住宅街の道となり新坂に出る。
新坂を渡ると道は左に折れ、明治通りのハナマサ南麻布店の横に出て小さな旅は終わる。

狸橋
ハナマサ南麻布店の所から恵比寿方面に進み、最初の信号の先、天現寺橋の100mぐらい手
前を左に入った所に狸橋がある。
江戸時代、橋のたもとに蕎麦屋があり、姉さんかぶりで赤子を背負った女が訪れ、受け取った
蕎麦代が翌日確かめると木の葉になっていた事から「狸蕎麦」といわれるようになり、
その事が評判で大層繁盛したようです。

狸橋は麻布と白金の境で、江戸時代には天現寺橋は古川に架かっていたのではなく、支流の笄川
(こうがいがわ)にかかっていたので、目黒方面に行く通行人は狸橋を通るものが多かった。


明治になると福沢諭吉が狸橋の近くに居を構え、当時は水車小屋をいくつも営んでいたようです。
その屋敷跡が今の慶應幼稚舎になったようです。
◆「麻布細見」もお役立ちサイト。
◆Deep Azabu は興味深いが ブログ形式で全体像が見えにくいのが難点。
加筆中

港区の地理 1.中心線は外苑東通り・東京タワー・浜松町・竹芝

東京都港区は都市化が進み、本来の地形が読み取りにくいが、国土地理院の土地の高低情報などで探っていきたい。
http://www1.gsi.go.jp/geowww/Laser_HP/dem_image.html◆東京都心部(図1)を
、明治通り以南は http://www1.gsi.go.jp/geowww/Laser_HP/dem_image.html
◆1/25000東京(図2)をご参照下さい。

天正十八年(1590年)八月一日徳川家康が江戸入府。当時は日比谷一帯が入り江(日比谷入江)であったと
いわれます。図1をご覧ください。今の浜松町から内幸町、日比谷、丸の内、大手町にかけて低地が広がります。
一方、銀座から京橋、日本橋は少しは地盤が高いのが見て取れます。

港区北部の外堀通りあたりに低地が見え、ここは川だったと考えられます。汐留、新橋、虎ノ門、
赤坂見附までは概ね外堀は昔の自然河川と考えられますが、赤坂見附からその本流は赤坂御用地を経て
鮫ヶ橋(鮫河橋とも)から新宿区の鮫河橋谷町を経て甲州街道に至ります。

図1を見ると谷筋は甲州街道を越えて四谷荒木町まで続いていたのではないかと思われます。
甲州街道は徳川幕府の戦略道路で、幕府に万一の事があったら甲府まで退く退却路であるほか
水路の要衝であります。玉川上水は四谷大木戸までは峰筋を縫って作られた掘割ですが、四谷大木戸から
江戸城半蔵門までは石組みの地下水路が通じていました。その地下水路の工事のために鮫川の最上流部は
埋め立てられました。そのことは新宿区立新宿歴史博物館で発掘記録を拝見しました。

また、図1の中央あたりに楕円形の地形が見えます。港区と新宿区の境界にあたる神宮外苑です。
その東側の道路が外苑東通りで、その東の深い谷がいくつもある場所は東宮御所その他の赤坂御用地です。
外苑東通りを北に進めば

外苑東通りを辿りますと、青山一丁目で食い違いになっていますが、そのまま乃木坂、六本木、飯倉片町と
丘陵地の中に驚くほど平坦な道路が続きます。これは電動ポンプ普及以前の水道用地特有の地形です。
外苑東通りもロシア大使館前からは急な下り坂でS字カーブを描いて東京タワー脇を抜け、増上寺横から
大門、浜松町を経て竹芝に至る道こそ港区の中心と考えます。

港区を更に二分するのが区内唯一の川らしい川、古川です。以上の区分線によって港区は地理的に
(1)新橋・虎ノ門・赤坂地区
(2)浜松町・麻布・青山地区
(3)芝、三田、白金、高輪地区に別れ、また幕末明治初期の海岸に当たるJR線を境に
(4)海岸、芝浦、港南、台場地区に分かれます。

2.新橋・虎ノ門・赤坂地区

3.浜松町・麻布・青山地区

4.芝、三田、白金、高輪地区

5.海岸、芝浦、港南、台場地区

港区の北東の端、虎ノ門より東の中央区や千代田区との境界は外堀通りかその1つ2つ先の通りになっています。 そこには汐留川という川がありましたが、今は下流部を残すのみです。 首都高速道路の汐留ランプより上流、JR線までは東京高速道路(会社線)になっています。 なお、汐留ランプから江戸橋にかけての首都高速は以前は築地川、昭和通りは三十間堀川、 土橋から東京駅にかけての鉄道用地は外堀川でした。 土橋から虎ノ門までは千代田区のとの境は外堀でしたが明治から昭和にかけて埋められました。 虎ノ門から赤坂見附にかけては溜池で、今の特許庁のところに堰あって、その上流は広い池でしたが 明治以降縮小し埋め立てられました。 赤坂見附までは江戸時代の外堀は自然河川を利用した物と考えられます。図1の低地は赤坂見附で3つに 分かれています。ひとつは清水谷です。もうひとつが江戸時代の外堀の赤坂見附~四谷間の弁慶濠で それは自然河川ではなく、江戸城の天下普請にって掘り下げられました。 なお、御茶ノ水付近の仙台堀も同時期に山地が掘り下げられて、残土で日比谷入江が埋め立てられました。 もうひとつは紀伊和歌山藩中屋敷・赤坂御用地を経て鮫ヶ橋(鮫河橋とも)を経て鮫河橋谷町の、JR中央線の 車窓からも見える鋭く切れ込んだ谷筋に続き、かつての甲州街道に至りますが、図1を見ると甲州街道を越えて 四谷荒木町まで続いていたのではないかと思われます。甲州街道は徳川幕府の戦略道路で、道路交通のほか 水路の要衝であります。玉川上水は四谷大木戸までは峰筋を縫って作られた掘割ですが、四谷大木戸から 江戸城半蔵門までは石組みの地下水路が通じていました。その地下水路の工事のために鮫川の最上流部は 埋め立てられました。そのことは新宿区立新宿歴史博物館で発掘記録を拝見しました。 △TOP
四谷大木戸から江戸城に向かう水道本線は石組みで作られていましたが、そのほかに木組みなどの支線も あちこちに延びていました。四谷三丁目から南に延びる青山上水も現代の地形図にその姿が浮かび 上がります。四谷三丁目~青山一丁目~六本木~飯倉の外苑東通りは丘陵地帯ではありえない平坦さです。 信濃町で谷を埋めています。権田原もそうかもしれません。乃木坂も六本木も辛うじて水が自然に流れる ぎりぎりの地形をしています。そして飯倉では桜田通りの谷を経て東京タワーがある丘陵に至る。 その外苑東通り、権田原から青山一丁目、六本木から飯倉、浜松町、竹芝に至る線が港区の中心線といえよう。 その左手には東京都水道局芝給水場があり、更に愛宕付近や増上寺に水道網が広がっていたと考えられます。 現在でも水道関係の施設は江戸時代の上水路沿いに多く見られます。 港区に残るもうひとつの江戸時代の水道の痕跡は三田用水です。三田用水は北沢で玉川上水から取水され 東北沢から駒場東大裏から松涛の東、代官山から鑓が崎(で駒沢通りを越え、恵比寿ビール工場から 目黒駅付近を通り白金猿町で高輪の台地に至る。 それら玉川上水、青山用水、三田用水がつなぐ地形は尾根伝いの平坦路です。明治になって徐々に 水道の電化が始まるが電化以前は水路の勾配だけが頼りの構造で、それに沿った道はアップダウンが 無く、緩やかな下りで、理想的なサイクリングロードとなる。筆者が幡ヶ谷~半蔵門間の甲州街道や 四谷三丁目~飯倉間の外苑東通りも北沢~駒場~鑓が崎の道も自転車で楽な道です。 上北沢~四谷大木戸間の甲州街道はおおむね平坦で玉川上水沿いですが笹塚付近だけは甲州街道が 谷にかかり、玉川上水ははるか南の北沢・大山方面に迂回している。 港区の地形は北に外堀~鮫川の低地、東に甲州街道に続く丘陵地で、四谷三丁目から青山一丁目、 六本木経由飯倉に至る尾根筋と世田谷・渋谷方面から恵比寿・目黒・白金猿町を経て高輪丘陵に 至る尾根筋、そして外堀~鮫川から延びる支流の谷が北部の主要構造になり、南部では 古川の右岸の東京タワー付近の丘陵に始まり、麻布、青山の谷と丘陵、そして古川左岸の 三田や高輪、白金の丘陵が山と川の関係です。 江戸時代の東海道は新橋から浜松町、田町、品川の平野部を通っているが、明治始めには現在の 山手線の線路あたりから海だった。家康入府以前の時代に遡ると、海岸は山に迫っていた。 そのため、中世の東海道は目黒川を居木橋(ゆるぎばし)で渡りそこから高輪台地の尾根筋の道を 三田の聖坂まで行き、それ以降はおおむね桜田通り沿いで霞ヶ関の関所、日本橋を経て 現在の国道6号線沿いの微高地を辿って浅草に至った。
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東北部の谷と尾根

上記の図1を見れば、港区東北部では外堀・鮫川が主要構造となってる。

愛宕山と神谷町の谷

アメリカ大使館、ホテルオークラ、千石山の尾根筋と六本木通りの谷筋、谷町ジャンクション

赤坂2丁目から六本木への尾根と乃木坂に続く谷

山脇学園付近の谷と246あたりの尾根

赤坂御用地の谷と鮫川、および権田原付近の台地

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古川に沿って

浜崎橋、金杉橋、将監橋 芝園橋、赤羽橋、中の橋 一の橋、小山橋 二の橋と歩道橋 三の橋 古川橋と新古川橋 四の橋 五の橋 亀谷橋・養老橋 狸橋 天現寺橋 △TOP

古川右岸

芝神明と増上寺 飯倉谷と狸穴谷と麻布台 麻布永坂町周辺 麻布十番から芋洗い坂と六本木 麻布十番から元麻布の谷と山 麻布東町と西町 薬園坂と本村町 新坂から有栖川公園 フランス大使館・ドイツ大使館・広尾駅 西麻布東部 新国立博物館周辺から乃木坂の東 青山墓地・神宮外苑 △TOP

古川左岸

外苑前駅から表参道 南青山・根津美術館 西麻布西部 白金の奇数と偶数 白金台北部 白金台南部 高輪南部 高輪北部 三田南部 三田北部 △TOP

海沿いのまち

芝 芝浦 港南 沿海部
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